自分が見たことのないものを
見たいからつくり続ける。
青木野枝
AOKI Noe
彫刻家

ムサビの大学院を出て、初めは1棟を数人で借りていました。人が出て行ったり、別の棟にスタジオを移したりして、今はまた数人の作家が集まっていますね。
制作期間中は朝9時から夕方の6時くらいまで、ここでずっと鉄板を切り抜いています。私の制作の95%が溶断と言えるくらい、大きな鉄板に丸を山ほど描いて、毎日何百枚と切って。

私が作業しているところを見た人が「アスリートだね」と言っていたけれど、確かに「行」と言った方が近いかもしれない(笑)。
最初は丸鋼という既成品の鉄の棒を使っていましたが、鉄板から切り出したら自分の線にできると思って、鉄板を溶断した線でかたちをつくるようになりました。
それから「線は分子レベルで見たら丸の連なりだな」と思ったことをきっかけに、小さな丸を切り出して、それをつなげて線にするようになったんです。
溶断はいろんなやり方があるけれど、私はガスを使っています。吹管を通して酸素とアセチレンガスを燃やし、高温の炎を出すという相当アナログな方法だけど、この作業自体が結構好きなんです。

鉄、ガラス|Site dimensions: H459 × W2379.1 × D1003.2 cm
「そこに光が降りてくる 青木野枝/三嶋りつ惠」東京都庭園美術館 撮影:山本糾
©︎Noe Aoki, courtesy of ANOMALY

鉄、ガラス|⌀240 cm
「そこに光が降りてくる 青木野枝/三嶋りつ惠」東京都庭園美術館 撮影:山本糾
©︎Noe Aoki, courtesy of ANOMALY
いつもささっと描いたドローイングをもとにつくり始めてしまいます。この大きさならこのくらいパーツが必要になるな、という感じで鉄板を切り出して溶接して。大きな作品の場合は部分までしかつくれないので、スタジオから美術館やギャラリーに搬入した後にパーツを溶接して設営します。
完成形はそのタイミングで初めて見るわけですから、一か八かというか、私の作品には失敗も成功もない。着地点がすごく広いとも言える。だからこそ必死につくることを自分に課しています。嘘がないようにって。

全然思ってなかったです。「作家になる」とか「作家になれる」とは考えていなくて、もっと楽しいことがあればそっちに行こうと思っていました(笑)。
でも、40歳くらいのときに個展をやっていたら「なんか面白いな。もっと続けたいな」と、ふと思ったんですよね。
芸術高校で彫刻を選んだのは、専攻を決めるときにデザインは違うし、絵も下手だから彫刻かな、と思ったから。ムサビの彫刻学科も二次補欠で繰り上げ合格でした。だから才能があるとか、すごくよくできるようなタイプではなかったんです。
あの頃の彫刻学科は女子学生も現役生も少ない、完全な男社会でした。「なんで女が彫刻をやってるんだ」とよく言われていたし、先生も「大学を出たらお嫁に行きなさい」とはっきり言っていた。言い返してもしょうがないから聞き流してましたけど(苦笑)。
転んだ先でつかんだのが鉄だった、というのが正直なところだけど、当時の彫刻学科は塑造と実材というコース分けがあって、実材の方でいろんな素材を試している中で鉄に惹かれたんですよね。
アルミやステンレスは熱しても色が変わらないままぐしゃっと溶けるけど、鉄はオレンジ色になって、もっと熱すると昼間の太陽くらい白く輝く。それで火を止めて見ていると、周りから冷えていって、中だけ半透明になって光が残る。それがすごくきれいで。
だから、半透明なものの中にまた別の世界があるということを表現したくて、初期の作品には『蓮池』『亀池』『寒天』といったタイトルを付けていました。
鉄って面白いんですよ。以前、奥出雲に「日刀保たたら」を見に行ったことがあって、川で砂鉄を採ってきて粘土でつくった大きな炉に入れて木炭を3日3晩焚べる。それで出来上がる玉鋼が日本刀の原料になるんです。今、私が作品に使っているコルテン鋼(耐候性鋼)という鉄は、その玉鋼を研究してもともとは海外で開発されたものなんです。
考えてみれば、地球で最も多い元素は鉄だし、自分の体の中にも鉄分がある。古来から人間は鉄を道具に使ってきて、農具にもなれば武器にもなる。空気に触れると錆びて変化していく――。そんなふうに「鉄っていいな」と思いながら、ずっと使い続けていますね。

鉄|H250, ⌀300 cm (16 pieces)
「近作展19 青木野枝」国立国際美術館 撮影:山本糾
©︎Noe Aoki, courtesy of ANOMALY
「彫刻家で誰に影響を受けましたか?」とよく聞かれるけど、コンスタンティン・ブランクーシやアルベルト・ジャコメッティのような彫刻家の作品よりも、私はあの人たちがつくったものに一番影響を受けているように思います。
1980年代の終わり頃、ニューヨークのアメリカ自然史博物館で、海獣や動物の牙や骨、木の枝などを使ってつくられた北方少数民族の生活用品や祈りのための道具を初めて見て、とても感動したんです。
世界に対して自分1人だけで対峙していけるような人がつくったものには、豊かな精神性や尊さが宿ると感じました。資本主義の世界で生きている私には同じものはつくれないとわかっているけれど、私にとっては鉄が、その牙であり骨であり枝であると思い続けています。
でも、「鉄の作家」のイメージが強いだろうけれど、鉄以外も結構使っているんですよ。普通に考えたらイコールにならないもの同士が、私の頭の中では同じものに感じられることがよくあって。
生卵も光にかざすと中が透けて見えるから「鉄と同じだな」と思って使っているし、石鹸もそう。ナチスがユダヤ人収容所で人体から石鹸をつくっていたという話があって、それ自体は本当にやられていたわけではなかったそうだけど、「自分が石鹸になることもあるんだ」と思ったことから使うようになりました。

鉄、石鹸|H173 × W54 × D51 cm (12 pieces)
「青木野枝――ふりそそぐものたち」長崎県美術館 撮影:山本糾
©︎Noe Aoki, courtesy of ANOMALY
石膏を使った作品を初めて発表したのは、豊田市美術館と名古屋市美術館の2つの美術館で大きめの個展をしたときです。

石膏、布、鉄|H231 × W251 × D186 cm
「青木野枝|ふりそそぐものたち」豊田市美術館 撮影:山本糾
©︎Noe Aoki, courtesy of ANOMALY
豊田市美術館の最後の部屋を鉄ではない作品にしたいと考えていて、沖縄で見た玉陵のマッスというかかたまりの強さが、それまでの自分の作品とは全然違うもので「いいな」と感じたことを思い出し、『原形質』という作品につながりました。
そう言えば、あのとき誰かから「豊田市美術館でやったら “上がり” だね」って言われたんですよね。
私はそういう問題じゃないとムッとしたし、そもそも「これで上がりだ」みたいなことを考えていたら、自分はすぐにつくれなくなると感じたことを覚えています。
私は、自分が見たことのないものを見たいからつくっている。いつだったか、リチャード・セラとギャラリーが一緒だった頃にも「自分が美術史のどこにいるか、ちゃんと理解して仕事をしなさい」と言われたことがあったけど、私は絶対にやりたくないと思った。
男性が、それも西洋の人たちが築いてきた美術史に括られたくないという意識もあったけれど、私はやりたいことだけをやっていきたい。自分の作品を客観視できなくたっていいと思っています。
だから、人の言っていることなんて気にしないで、自分が楽しいと思える方、納得できる方向に進めばいいと若い人には伝えたいですね。「女に彫刻は無理」と言われていた私が今、彫刻家になっているわけだし(笑)。

撮影:坂本理 ©︎Noe Aoki, courtesy of ANOMALY
自分でしか決められないですからね。今の美大は女子学生は多いけれど、教員側にはまだ女性は少ないですよね。だから美大のジェンダー的な意識は昔と大して変わっていないと思うけど、私が大学で教えていたときの学生の中にも、結婚して子どもを産んでも彫刻を続けてくれている人がたくさんいるんですね。
制作か結婚かどっちを取るかという時代でもないし、やりたいことは何でもやればいいと思います。私は私で次の世代が育つために、還元できるものには還元したい。
最近は社会人を経験した学生や、海外の大学を卒業した留学生も多いですよね。そういう環境ってとてもいいじゃないですか。今は作家を取り巻く環境が変わって、大学の卒業制作でバーンと売れていく人もいるけれど、「早く売れないとダメ」とか「何歳までには諦めなきゃいけない」みたいなものなんてないですから。
せっかく美術という自由な世界を目指すのだから、好きなことをやればいいんです。

青木野枝
AOKI Noe
大学院美術専攻彫刻コース
彫刻家
1958年東京都生まれ。1983年武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。活動当初から鉄の溶接、溶断による作品を制作し、近年は石鹸、石膏、ガラスなど異素材の作品も発表。版画も継続して手がける。主な個展に市原湖畔美術館(2023年)、長崎県美術館(2019年)、豊田市美術館(2012年)など多数。東京国立近代美術館、国立国際美術館をはじめとしたパブリック・コレクションや公共空間への設置も多い。毎日芸術賞、中原悌二郎賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章。






















