見つめつづける。
聞きつづける。
感じつづける。
学びつづける。
問いつづける。
迷いつづける。
試しつづける。
挑みつづける。
伝えつづける。
つくりつづける。
美はつづく。
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誰も見たことのない
映像世界への挑戦。

種田陽平

TANEDA Yohei

映画美術監督

撮影協力:PORTER CLASSIC CINEMA

種田さんが映画美術の道に進まれたきっかけを教えてください。

前提として、僕が美大を目指そうと思ったのは、高校が進学校で同級生たちは本当に勉強熱心だったんですね。でも、僕はまず好きなことをやってみたいと思った。では、自分が好きなことは何かと考えてみたら「絵を描こう」となって。担任の先生に「美大に行きます」と宣言して電話ボックスに駆け込み、電話帳の「あ行」にあった家の近所のアトリエで絵を教えてくれる先生を見つけて、翌日から通い始めたんです。

翌日からですか!

進学校においてもそんな風変わりな高校生が、学年に2、3人はいましたけどね。だから ムサビの油絵学科に入った当初は、映画美術をやろうとはまったく考えていませんでした。

ただ、子どもの頃から映画が好きで、高校ともなると名画座に入り浸っていました。ムサビでは映研(映画研究会)に入って8ミリフィルムで自主映画を撮って。実は「陽平」という名前は僕が演じた役の名前なんです。

役名を使われていたのですね。

というより、役名が通り名になって本名を名乗れなくなってしまった(笑)。自主映画をつくってみたら面白くて、それで大学の途中で本格的に映画をやりたくなり、視覚伝達デザイン学科の映像ゼミに参加したいと大学に相談した。でも「油絵学科の学生はダメ」と断られてしまった。

転機は確か3年生のとき。先輩から、画家の合田佐和子さんのアシスタントとして絵を描かないかと誘われ、行ってみたら寺山修司さんが監督していた『上海異人娼館 チャイナ・ドール』の現場だった。映画のセットで使われる絵画を泊まり込みで描かせてもらいました。プロの撮影現場に数カ月間身を置いて、強烈なイリュージョンを生み出そうとする緊張感に衝撃を覚えたんです。

一方で、美術教師になるつもりで、教育実習に行って教員免許も取っていた。でも、寺山さんの現場で知り合った映画美術の先輩に誘われて仕事を手伝っているうちに、「先生になる」という考えはどこかに置き忘れてしまった。そんなふうに映画にとりつかれ、気がついたらこの仕事を初めて40年以上経ってしまいました。

絵画をバックボーンに映画美術の世界に入る方は多いのでしょうか。

大先輩には絵画出身の美術監督が少なくないですが、現在は空間デザインや建築学科出身がほとんどです。美術監督には2つのパターンがあって、絵からイメージをつくる人と図面から空間を構築する人がいる。僕は完全に前者でした。

1人の美術監督のアシスタントになって、その人に一人前になるまで育ててもらうようなルートは辿りませんでした。映画美術はもとより映画人としてどうあるべきかは、仕事をやりながら、映画の現場で学んでいきました。同世代の周防正行さんや石井聰亙(現 岳龍)さんの作品の美術監督をしたり、学生の頃から好きだった長谷川和彦さんや相米慎二さんのような監督の方々とお付き合いする中で。

「美術監督になる」という気持ちは初めからあったわけではないんですよ。僕にとって映画美術という仕事は、例えて言うなら “学園祭” をつくる感覚に近い。アート、グラフィック、建築、インテリア、クラフト、ファッションなど、多種多様な専門分野を持つ職人や技術者が集まり、映画という学園祭の準備をするわけですが、美術監督はそうした分野を統率する立場です。それでその1つのお祭りが終わると、また次の学園祭の準備が始まるという感覚なんですね。

いろんな人が映画の仕事には関わっているけれど、みなに共通して言えるのは、映画や映像が好きだということ。その気持ちが強くなければ始まらない仕事です。

美術監督を務めた1996年公開の映画『スワロウテイル』(監督:岩井俊二)。日本への移民たちが住む架空の街「円都」の無国籍な世界観が注目された©1996 SWALLOWTAIL PRODUCTION COMMITTEE
美術監督を務めた1996年公開の映画『スワロウテイル』(監督:岩井俊二)。日本への移民たちが住む架空の街「円都」の無国籍な世界観が注目された
©1996 SWALLOWTAIL PRODUCTION COMMITTEE

映画美術の世界に入ってくる若い世代との交流もありますか。

もちろん。世代は違うけれど共通言語として映画がある。「最近何観た?」って聞くところから始まる。こだわりのある人が「あの映画観てないんですか? 観たほうがいいですよ!」なんて教えてくれることもあるしね(笑)。そういうコミュニケーションは大事なんです。

種田さんは2025年度まで空間演出デザイン学科(空デ)の客員教授を担当されていました。学生と接していて、感じたことは何かありましたか。

ムサビでは映像学科の学生が考えたストーリーをもとに空デの学生がセットをデザインして、1本の短編映画を製作するという授業を担当していました。そこでちょっと思ったのは、みなの好きな映像作家や映画の傾向が似たりよったりかな、ということ。

みなの好みを否定するわけではありません。ただ、僕の記憶の中の “美大生” は「主流へのカウンター意識」みたいなものがあったと思う。僕が学生の頃はジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグが台頭し人気を博した時代で、周りの友人や僕はそれをちょっと斜に構えて見ていました。「世の中の大多数の人はこの映画が好きだけど、自分はむしろこっちを推す」というふうに。

好きになる入り口は何でもいいと思うけれど、その先で自分だけのオリジナリティを探していくことが美大生としてポジティブな態度、取るべき姿勢だと思うんです。映画美術を目指しているのなら、なおさらそういう独自のこだわりが仕事の充実につながっていくと思います。

流行に流されず自分なりの価値観を持つと。

「一流に近づきたい」ではなくて、「自分なりの一流を目指す」という心構えですよね。その心構えを現実に生かすにはチャレンジが欠かせない。例えば2025年に公開された『国宝』は結果的に大ヒットしましたが、歌舞伎の世界に生きる人間が主人公の映画が大ヒットしたことはこれまでなかったし、何十年も歌舞伎界を舞台としたフィクションの映画はつくられていませんでした。だから僕らにとって『国宝』は大きな挑戦で、美術部のスタッフも一人ひとりが「前例のないことをやってやろう」という意欲に満ちていました。

『鬼滅の刃』にしても『ストレンジャー・シングス』にしても『イカゲーム』にしても、新しいチャレンジをしたからこそあれほど話題になったわけで。美大生なら映画に限らず「誰もつくったことがないものを最初に生み出す」という気持ちを強く持ってほしいと思います。

2026年は『スワロウテイル』の公開から30周年を迎えます。種田さんの名前が広く知られ、映画美術という仕事にも注目が集まった作品です。

『スワロウテイル』ってアナログレコードのA面B面で言えばB面の映画だったと思う。あの年は『Shall we ダンス?』が言わばA面の映画で大ヒットもしたし、日本アカデミー賞を総ナメだった。でも、僕は『スワロウテイル』の世界を好きだと言ってくれる人にいまだによく会う。レコードのB面の曲をずっと好きでいる人がいるように、『スワロウテイル』という映画を好きでいてくれる人がいるんですよ。

『スワロウテイル』の舞台の1つとなった「青空旧貨商場」のセット。千葉・新浦安の都有地につくられた©1996 SWALLOWTAIL PRODUCTION COMMITTEE
『スワロウテイル』の舞台の1つとなった「青空旧貨商場」のセット。千葉・新浦安の都有地につくられた
©1996 SWALLOWTAIL PRODUCTION COMMITTEE

主流ではなかったけれど、長く愛されている。

バブル景気が弾けた90年代の前半は日本全体に停滞感が漂っていて、映画界でも新しいと思える作品がしばらく生まれていませんでした。だから「ほかにはない自分たちの映画を自分たちの手でつくりたい」という思いが強かったんですね。自分たちが納得のいくものを徹底的につくって、みんなをアッと言わせてやろう、と。

美術監督としてあの頃から一貫して挑戦し続けているのは、「誰も見たことのない映像世界」をつくり上げることです。監督、撮影、照明、音楽などと一体となって新しいものをつくり出そうとしていると、その作品固有の世界観が生まれてくる。

だから僕が美術を手がけた映画やドラマシリーズ――『スワロウテイル』、『イノセンス』、『キル・ビル Vol. 1』、『私立探偵 濱マイク』、『THE 有頂天ホテル』、『思い出のマーニー』、『ヘイトフルエイト』、『舞妓さんちのまかないさん』、『国宝』などを同じ世界にしたくてもそうはならない。それが映画美術の面白いところだと思います。そんなものづくりの世界に若い人が興味を持ってくれたらうれしいですね。

今回のポートレイトを撮影した「PORTER CLASSIC CINEMA」のように、種田さんは店舗設計や舞台美術なども手がけています。映画以外の仕事をする上で、何か意識の違いはありますか。

PORTER CLASSICは本店や新丸ビルの店舗もデザインさせてもらいました。どの店舗も「映画のセットのように」というリクエストでしたから、来店する方に映画の世界観を味わってもらいたいという思いで設計しています。映画美術のチームと一緒に細部までこだわっているから、アパレルのお店だと知らずに入ってくる人もいるみたいですね(笑)

NEWoMan高輪の「PORTER CLASSIC CINEMA」は“クラシック映画”の雰囲気で満たされている。写真下の右手に見えるドアを開けるとフィッティングルームも兼ねたスクリーニングールームにつながる/-/写真提供:PORTER CLASSIC
NEWoMan高輪の「PORTER CLASSIC CINEMA」は “クラシック映画” の雰囲気で満たされている。写真下の右手に見えるドアを開けるとフィッティングルームも兼ねたスクリーニングールームにつながる 写真提供:PORTER CLASSIC

映画以外の仕事だからといって、その分野の方法論や流行り廃りに合わせようとは思いません。僕の美術のつくり方を優先させてもらっています。もちろん、僕の仕事を望んでくださった方々のテーマ、その分野の状況を十分に考慮した上でですが。

僕の中ではやはり映画美術の仕事が登るべき一番高い山なんです。自分自身にプライドは感じないけれど、世界の映画美術が営々と築き上げてきた世界、歴史、仕事には共感と理解と誇りを持っていますから。

種田陽平

種田陽平

TANEDA Yohei

油絵学科

映画美術監督

1982年武蔵野美術大学油絵学科(現 油絵学科油絵専攻)卒業。在学中に寺山修司監督作品に絵画助手として参加。以後、美術助手を経て美術監督となり、岩井俊二監督『スワロウテイル』、クエンティン・タランティーノ監督『キル・ビル Vol. 1』、三谷幸喜監督『THE 有頂天ホテル』、米林宏昌監督『思い出のマーニー』など国内外の話題作の美術監督を務める。李相日監督『国宝』では日本アカデミー賞最優秀美術賞をはじめ数々の美術賞を受賞した。2010年芸術選奨文部科学大臣賞、2011年紫綬褒章を受けている。

油絵学科油絵専攻

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