見つめつづける。
聞きつづける。
感じつづける。
学びつづける。
問いつづける。
迷いつづける。
試しつづける。
挑みつづける。
伝えつづける。
つくりつづける。
美はつづく。
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十代の頃の初期衝動が
今も原動力になっている。

長添雅嗣

NAGASOE Masatsugu

映像作家

長添さんがムサビに進学したきっかけは何でしょうか。

高校生の頃は「絵で食べていきたいな」と漠然と思っていました。宇野亞喜良さんのイラストや、大友克洋さん、押井守さん、森本晃司さんたちのアニメが大好きで、グラフィティやストリートカルチャーにも影響を受けていたので。

ただ、いわゆる「油絵」や「日本画」は当時の自分には遠過ぎる世界で。一番身近に感じられたイラストレーターを目指そうと、平面のデザインを学べる学科を受験しました。デ情(デザイン情報学科)は新しく設立されたばかりで、入学前から面白そうだなと思っていましたね。

イラストレーター志望から映像にシフトした理由は?

もともとアニメが好きなのもあるけれど、アプリケーションの使い方を覚えたことが大きいですね。最初はPhotoshopやIllustratorを使って、アルバイト感覚でクラブのフライヤーを描いたりしていました。

それから映像編集のPremiereや、モーショングラフィックが制作できるAfter Effectsを覚えると、できることが一気に広がった。僕がムサビ生だった1990年代後半は、学生が持てるようなパソコンで映像制作ができるようになったタイミングなんです。それで、自分で描いたイラストを1コマ1コマ動かしたり、友人に演技をお願いして、実写の途中でCGやアニメに切り替わるような抽象的な作品をつくったりして。「映像って面白いな」と、実写もCGもすぐに覚えていった感じです。

映像をつくる機会を増やしたくて、授業の課題と強引にからめて映像作品を提出していました。ゼミも入り直したんです。今もデ情で先生をやられている “J佐藤”(佐藤淳一)先生が「どんどん作品をつくりなさい」という考え方だったので、4年生の1年間は先生のゼミで映像づくりをしていました。

映像作家としてのキャリアはどのように築かれていったのですか。

映像をつくるようになって、漠然と監督になりたいと思っていたけれど、どこに行けば監督になれるのか、そもそも何の監督になりたいのかもわからないような状態で。「ここに受かったら監督になれるかな?」と思ってエントリーしたCM制作会社で、映像をつくる「演出部」ではなく、制作の進行を管理する「制作部」を志望していたくらいでした(笑)

結局、就活はほとんど落ちてしまい、それなら憧れている人のもとに弟子入りしようと、映像作家の小島(淳二)監督の会社(teevee graphics)に入社しました。実は、エントリーシートの段階で落とされていたんですが、小島監督にポートフォリオを見てもらう機会を何とかつくって直談判し、幸いにも認めてもらったんです。

アシスタントとして映像の世界に入られた。

僕が働き始めた2003年頃は日本のMVがとても盛り上がっていて、とにかく忙しかったですね。事務所の雑用をしながら、モーショングラフィックのデザイナーとして振られた仕事をこなすのに精一杯でした。わからない技術を使わなければならなくなったら、先輩アシスタントに教えてもらったり、自分で慌てて調べたりして。

小島監督は手取り足取り教えてくれるタイプではなかったけれど、映像作家として大切な基礎をしっかり学ばせてもらいました。後に自分がディレクターとして現場に立ったとき、「小島監督はあのときこうしてたな」と思い出す場面が何度もありましたね。

独立のきっかけは?

入社して4年ほど経つと、「長添君にディレクターをお願いしたい」という依頼がだんだんと増えてきて。これだけ仕事が来たら、自分1人くらいは食べていけるかもしれないというタイミングで独立しました。

最初は音楽番組のジングルとか、小さな案件をコツコツと積み重ねて自分の実績をつくりました。独立して最初に仕事をくれたのがMTVで、MTVやスペースシャワーTVのような音楽チャンネルには本当に助けられましたね。

BOOM BOOM SATELLITES「KICK IT OUT」MUSIC VIDEO

映像作家として方向性が決まるきっかけとなった作品はありますか。

僕にとって最初のMVで、BOOM BOOM SATELLITESと初めて仕事をした「KICK IT OUT」ですね。映像ディレクターって、つくったものから数珠つなぎに次の仕事につながることがとても多いんですよね。プロデューサーが作品を見て、気になったディレクターの名前をチェックして「次はこの人にお願いしよう」という。

「KICK IT OUT」をきっかけにMVの仕事をたくさんいただけるようになり、ロックなテイストとか、モーショングラフィックスを取り入れた世界観の仕事が増えていきました。ただ、最初に頑張り過ぎてしまったせいか、「1本目を超えられない」というジレンマをしばらく抱えていましたが(笑)。それで、MVを続けているうちに少しずつTVCMの仕事も来るようになって。

YOASOBI「SEVENTEEN」MUSIC VIDEO 原作:宮部みゆき「色違いのトランプ」from『はじめての』(水鈴社刊)

MVとCMでは作品のつくり方も変わるのでしょうか。

制作会社も違うし、CMは広告代理店がつくった企画や絵コンテをもとに演出しますから、企画段階からディレクターに委ねられることが多いMVと比べると、制約は多いかもしれません。ただ、MVでは予算的に難しい表現に挑戦できるし、機材も使える。関わる人数も多くなりますから、別の面白さがあると思っています。

スズキ「ジムニー ノマド」コンセプトムービー

この5年くらいで増えてきたアニメーションの案件は、気分的にはMVに近いですね。「呪術廻戦」の第1期のエンディングムービーを演出させてもらったとき、「キャラクターの衣装を本編と変えたい」と提案したんです。本編と同じ衣装でつくるのが通例だと思いますが、あの1本が起点になって、「好きなように衣装を変えてください」と言ってもらえるくらい自由度の高い演出を、ほかの作品でもさせてもらえるようになりました。

今は実写とアニメの仕事が半々くらい。アニメでやりたいことをずっと温めてきましたから、それを少しずつ実現できているのが楽しいですね。作業量は実写より多いとつくづく思いますけど(笑)

TVアニメ「呪術廻戦」第1期エンディングムービー
©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

映像作家として今後挑戦していきたいことは?

今は映画をつくっています。これまでは短い尺の映像を中心に活動していましたが、今後は長尺ものの映像づくりにも取り組んでいく予定です。少しずつ、ゆっくり自分が活動できる幅を広げていきたいと考えています。

さまざまな領域の映像を手がける上で、大切にしていることはありますか。

難しい質問ですね(苦笑)。細かいこだわりはたくさんあるけれど……。でも、1つ挙げるなら、そのときそのときの自分に正直でいることでしょうか。「これは嫌だ」「これはカッコいい」「これは美しくない」と、その都度向かうべき指針をきちんと示すようにしています。明確な基準があるわけではないけれど、それは一貫していますね。

僕の場合は、中学高校時代に夢中になっていたものがものすごく大きな財産になっているんです。その初期衝動が、今も制作のモチベーションになっていると感じます。だから、これを読んでくれているみなさんも、十代のときに強く心を動かされて「自分もつくりたい」と思えた経験があるのなら、その気持ちや熱量をずっと大切にしてほしいですね。大好きなものがあったら、それを享受する側に収まらずそれをつくる側を目指して欲しいです。

長添雅嗣

長添雅嗣

NAGASOE Masatsugu

デザイン情報学科

映像作家

1979年東京都生まれ。2003年武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業後、小島淳二監督が率いる映像制作会社teevee graphicsに入社。モーショングラフィックスデザイナーとして従事した後、2008年に独立。映像作家として数々のMVやTVCMを手がけ、近年はアニメーションにも領域を広げている。2016年KICKS設立。代表作にTVアニメ「呪術廻戦」第1期ED、YOASOBI「セブンティーン」MV、BOOM BOOM SATELLITES「KICK IT OUT」MVなど。

デザイン情報学科

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